レイ神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてお送りします。
【福音メッセージ】
5月1日、2022年
復活節第3主日 ヨハネによる福音書21章1-19
最初に知っておいて欲しいのは、弟子たちが一晩中漁をしても何もとれなかったということが重要だということです。彼らは不漁でがっかりしていたでしょうし、もう漁をする気もなかったことでしょう。ですがイエスはシモンに漁をするよう言われ、シモンはそのようにしました。その結果は、もう引き上げられないくらい沢山の魚が網にかかっていたのです。
ここで見逃してはならない象徴的な意味のひとつは、イエスがシモンに水の中に深く網を打つよう言われたことです。これは何を意味するのでしょうか。
この部分では魚を捕るという具体的な奇跡のことだけではなく、それ以上に福音を説き神からの使命を果たす派遣について述べられています。水中深くという象徴的意味は、そうせよと招かれ、神の言葉を福音宣教する為に、私たち全てが参加し完全にそのことに係わるべきだということです。
神の意志に徹底的に深く関わりながら、神の言葉を聞き行動するとき、神は魂へのゆたかな捕獲をお与えになります。この「捕獲」は思いもよらない時、方法でもたらされ、それは明らかに神の御わざなのです。
しかしもし、シモンがイエスに「申し訳ありません、今日はもう漁は終わりで、多分明日にします」と笑いながら言ったとしたらどうなったか考えてみて下さい。もしシモンがこのようにしたなら、豊かな漁で祝福されることは決してなかったことでしょう。同じことが私たちにも言えます。人生において神の声に耳を傾けないなら、神の根本的な命令に心を留めないならば、神が望まれる方法で私たちをお使いにならないでしょう。
救世主の声にこたえ、喜んで行動することについて、今日は黙想しましょう。全てにおいて「はい」と主に喜んで言えますか?主の指し示すことに喜んでしっかりと従えますか?もしそうなら、主があなたの人生になされることにきっと感嘆することでしょう。
【聖書朗読箇所】
恵み深い神よ、
あなたは愛するひとり子を世の救いのために与えてくださいました。
あなたの愛に生きる喜びでわたしたちを満たし、
ともにいてくださるキリストに従う者としてください。
集会祈願より
第1朗読 使徒言行録 5章27b~32、40b~41節
彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。
「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。
それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、
あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」
ペトロとほかの使徒たちは答えた。
「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。
わたしたちの先祖の神は、
あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。
神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、
この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。
わたしたちはこの事実の証人であり、また、
神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、
このことを証ししておられます。」
使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、
イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。
それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、
最高法院から出て行[った。]
第2朗読 ヨハネの黙示録 5章11~14節
また、わたしは見た。
そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。
その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
天使たちは大声でこう言った。
「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、
そして賛美を受けるにふさわしい方です。」
また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、
そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。
「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、
そして権力が、世々限りなくありますように。」
四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。
福音朗読 ヨハネによる福音書 21章1~19節
その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。
その次第はこうである。
シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、
ガリラヤのカナ出身のナタナエル、
ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。
シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、
彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。
彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。
しかし、その夜は何もとれなかった。
既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。
だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、
彼らは、「ありません」と答えた。
イエスは言われた。
「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」
そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、
もはや網を引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。
シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、
裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。
陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。
さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。
その上に魚がのせてあり、パンもあった。
イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、
百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。
それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。
弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。
主であることを知っていたからである。
イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。
魚も同じようにされた。
イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
食事が終わると、 イエスはシモン・ペトロに、
「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、
あなたがご存じです」と言うと、
イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
二度目にイエスは言われた。
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、
あなたがご存じです」と言うと、
イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
三度目にイエスは言われた。
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、
悲しくなった。そして言った。
「主よ、あなたは何もかもご存じです。
わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」
イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
はっきり言っておく。
あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。
しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、
行きたくないところへ連れて行かれる。」
ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、
イエスはこう言われたのである。
このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。
この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、
「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。