湯澤神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ】 年間第20主日 C年 2022年8月14日 湯澤神父
✚ Pax et Bonum
兄弟姉妹の皆様
今日の福音で、イエス様は突然弟子たちを驚かせるようなことを言い出します。「地上に火を投ずるために来た。その火が既に燃えていたら……。」イエス様は、文字通りに、この世界が火に焼きつくされていること、或いは、この世界が炎で燃え盛っていることを望んだのでしょうか。
キリスト教が広まったヘレニズムの世界では、世の終わりには火が全世界を焼き尽くし、世界が新しくなるという考え方がありました。これがきちんとした思想になるのは、ルカが福音書を書く少し後のことですが。こうした思想があったことを考える時、イエス様の言葉が世の終わりの裁きについてのこうした考え方に結び付いたとしても不思議ではありません。
しかし、今日の福音は別の理解と結びついてもよいようです。今日のこの福音を選んだ教会は、その別の意味で捉えているようです。集会祈願を見てみましょう。「あなた(御父である神)はすべての人の救いのために、御ひとり子を遣わしてくださいました。ここに集う私たちを聖霊によって清めてください。」つまり、教会は、この火を世の終わりに降ってくる裁きの火の意味ではなく、聖霊の意味で理解している、と捉えていることができます。父である神は、世を救うために御子をお遣わしになり、救いを全うされました。御子は、十字架の死を通して弟子たちに聖霊を派遣しました。ルカは、このことを『使徒言行録』で詳しく説明しています。ペンテコステの日、弟子たちが集まっていると、激しい音がして、天から炎のような舌が現れ、弟子たちの上に留まります。聖霊降臨の出来事です。弟子たちは新しい命に生かされ、その使命に生きる者となりました。
イエス様は、その前に苦しみの洗礼を受けると予告しています。ルカは、他の福音書を書いた人たち以上に具体的にイエス様の十字架の苦しみを描いています。それは、私たちが聖霊に生かされるためです。イエス様が来るまでに、既に弟子たちが聖霊に生かされていたらどれだけよかっただろうに。イエス様の気持ちがうかがい知れます。
ただし、弟子たちがこの使命に生きることは、さほど容易なことではないようです。イエス様は、誕生物語で、シメオンが預言しているように、異邦人の光であり、イスラエルの栄光ですが、同時に逆らうを受けるしるしともなるからです。この救いのための決断の厳しさは、聖母マリアでさえ例外扱いされませんでした。その使命に生きることの厳しさは、ここでは家庭の不和をもってたとえられています。
私たちも、集会祈願にあるように、聖霊に清められ、聖霊に生かされて、キリストに従って生きる喜びを味わえたらと思います。
湯澤民夫
【聖書朗読箇所】
いつくしみ深い神よ、
あなたはすべての人の救いのために 御ひとり子を遣わしてくださいました。
ここに集う私たちを聖霊によって清めてください。
キリストに従っていきる喜びが 一人ひとりのうちに満ちあふれますように。
集会祈願より
第1朗読 エレミヤの預言 38章4-6 ,8-10節
(その日、役人たちはエレミヤについて)王に言った。
「どうか、この男を死刑にしてください。 あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。 この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」
ゼデキヤ王は答えた。「あの男のことはお前たちに任せる。 王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」
そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。 水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。
エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。
「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。 彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。 もう都にはパンがなくなりましたから。」
王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。
第2朗読 ヘブライ人への手紙 12章1-4節
(皆さん、わたしたちは、)このようにおびただしい証人の群れに 囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。 このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、 恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、 神の玉座の右にお座りになったのです。 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、 御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
福音朗読 ルカによる福音 12章49-53節
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。 その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。 それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。 そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、 二人は三人と対立して分かれるからである。
父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、 対立して分かれる。」