2022年8月6日土曜日

8月7日 年間第19主日

 レイ神父様の福音メッセージを、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ】

8月7日 説教 レイ神父

イエスは弟子たちに言われた。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」ルカ12章32節。 このイエスからの短い言葉は3つの事を私たちに示します。

まずイエスは、恐れが私たちの生活を支配するのを許してはならないという、よく知られている事を思い出させます。人生には恐れ、悩み、心配などを生じさせる様々な事があります。恐怖を克服するというのは謙虚さの問題です。その謙虚さが自分自身や直面する問題から私たちの主へと目を向けさせるのです。主に目を向けるとき、恐怖は消え、そして信頼に取りかわります。

次に、これもまたイエスからのたいへん優しい言葉です。その中でイエスは彼の弟子たち、そして私たちをイエスの”小さな群れ”と呼ばれます。これは愛情ある言葉で、主の優しく思いやりのある心を表しています。この愛ある言葉は私たちが主に属すというだけでなく私たちへのイエスの愛が親密で心からのものであることを表します。もし私たちがこのイエスの愛を理解するなら、同じく深い思いをもってイエスに愛をお返しするしかありません。

最後にこの行(言葉)は天におられる父なる神の国を私たちに指し示しています。私たちが信頼し、親密な関係を持つべき父なる神は、私たちを最も栄光ある王国において、分かち合うようにと招いておられます。神の王国は私たちものとなり、その呼びかけがなんと素晴らしいものであるかとわかれば、それを追い求めるとき私たちは希望と興奮に包まれることでしょう。

今日は、思いやり深いイエスの心からの招きを、神の王国に目を向けるために黙想しましょう。そうするとき、この啓示によってあなたは人生から恐れを取り去り、その重荷に打ち勝つ強さを得て行く事でしょう。あなたの信頼を神に置き、神にあなたを変えていただきましょう。



【聖書朗読箇所】


希望の源である神よ、

  あなたは深いはからいによって、

  世界に救いをもたらしてくださいます。

  あなたの民の集いに聖霊を注いでください。

  神の国の実現を信じるわたしたちの心が、

  希望のうちに一つになりますように。、

   集会祈願より



第1朗読 知恵の書 18章6~9節


あの夜のことは、我々の先祖たちに

   前もって知らされており、

彼らはあなたの約束を知って

  それを信じていたので、   動揺することなく安心していられた。

神に従う人々の救いと、敵どもの滅びを、

あなたの民は待っていた。

あなたは、反対者への罰に用いたその出来事で、 わたしたちを招き、光栄を与えてくださった。 善き民の清い子らは、ひそかにいけにえを献げ、 神聖な掟を守ることを全員一致で取り決めた。 それは、聖なる民が、順境も逆境も

  心を合わせて受け止めるということである。 そのとき彼らは先祖たちの賛歌をうたっていた。



第2朗読 ヘブライ人への手紙 11章1~2、8~19節(または、11章1~2、8~12節


 (皆さん)信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。

 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に 出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、 同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。 アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を 待望していたからです。 信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに 子をもうける力を得ました。 約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。 それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、 また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。

 (この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。 約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、 自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを 明らかに表しているのです。 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、 戻るのに良い機会もあったかもしれません。 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。 だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。 神は、彼らのために都を準備されていたからです。 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。 つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 この独り子については、 「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。 それで彼は、イサクを返してもらいましたが、 それは死者の中から返してもらったも同然です。)




福音朗読 ルカによる福音書 12章32~48節(または 12章35~40節)


 (そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)

 (「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 自分の持ち物を売り払って施しなさい。 擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。 そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、 すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、 そばに来て給仕してくれる。 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、 目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 このことをわきまえていなさい。 家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、 自分の家に押し入らせはしないだろう。 あなたがたも用意していなさい。 人の子は思いがけない時に来るからである。」

 (そこでペトロが、 「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。 それとも、みんなのためですか」と言うと、 主は言われた。 「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした 忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、 下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、 その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、 彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。 主人の思いを知りながら何も準備せず、 あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。 すべて多く与えられた者は、多く求められ、 多く任された者は、更に多く要求される。」)