2022年8月27日土曜日

8月28日 年間第22主日

 ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ】 “もしあなたは招待されたら。” ウルバン神父

イエスが食事のためにファリサイ派のある議員の家に呼ばれた時、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気が付いた。それでイエスが言われた。「もし招待されたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、招いた人が来て、さあ、友よ、もっと上に進んでください、と言うだろう」。

皆さんは、宴会の時の悩みを知っているでしょう。誰をどこに座らせようか、誰に挨拶をさせようか、誰かを”先生“と呼ぼうか、と心は悩みにいっぱいです。もし間違ったら、大変ですよ。私が末席に座って無視されたら、素直に喜んで皆と共に祝う事が出来るでしょうか。できる人もいますが、みんなはそうではない。自分はどうでしょうか。もし、忘れられて、「もうちょっと上のほうに進みなさい」と呼んでくる人がいなかったら、まあ、大変だ。心は傷つけられて、怒りと暗闇に満ちているだろう。この傷は癒しがたい。長い、長い間、忘れられなく、許せないでしょう。

イエスの弟子でさえも、素直に末席を喜ばなかった。自分達の中で誰が一番偉いのだろうかと、よく話し合って、争っていた。最後の晩さんまで、イエスのそばの席を狙っていた。二階の階段を上った時、大騒ぎだったと思う。やっと座った時、きつい顔で互いを見つめあったでしょう。暗い雰囲気でした。その時、イエスは一人ひとりの前で床の上に座って、足を洗って接吻した。足元に座って、小さくなったイエスの姿は一人ひとりの心に触れた。

何十年も前に留萌という町に住んでいた。ある時、家のゴミを車に乗せて、ゴミ捨て場へ持っていた。ボロ服を着て、長靴を履いて、雨でドロドロになった臭い所で自分のゴミを降ろした時、ちょうどそこにいた人達が走って来て叫んだ。「先生、それはいかん。こんな汚い所で、こんな事をするなんて」。自分の偉い園長先生のボロ姿を見た時、びっくりした。ところが、うちの親は貧しくて、私は土と泥に慣れていた。偉い者だと感じなく、汚くなるのは恐れなかった。

何週間か前に話したように、ガールスカウトと共に韓国のあるライ病村へ行った事があります。あるガレージみたいな物置に近づいたら、数人の患者さんが立っているのが見えた。何だろうと思って近くに行ったら、そこに病人が座って、いたずらの顔をしながら、自分のライで腐った足の残りを皆の前で伸ばしていた。足の様子はひどかった。血とうみが流れ出た。彼の前に一人の神父さんが土の上に座って、優しく丁寧に、すごく良い顔をして、その足を洗って世話をした。その患者さんは不思議な王様のように、嬉しそうにそこで座っていた。本当にかわいそうな姿であったのに、まったく悲しまなかった。どうしてでしょうか。自分の足元にいた方の顔を見て、その優しい手を感じた時、とても愛されているのを知った。忘れられない時でした。末席より低い所に座って、血とうみが流れる足を触れるのを見たら、私たちの心はすごく動かされて、イエスの姿を見ていた。この体験は、私たちの心のなかに長く響いていた。


【聖書朗読箇所】


信じる者の救いである神よ、

  あなたは高ぶる者を退け、へりくだる者に目を留めてくださいます。

  わたしたちが神の前に皆等しく貧しいことを悟り、

  キリストのことばに希望を見いだすことができますように。

集会祈願より



第1朗読 シラ書 3章17-18 , 20 , 28-29節


子よ、何事をなすにも柔和であれ。

そうすれば、施しをする人にもまして愛される。

偉くなればなるほど、自らへりくだれ。

そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる。

主の威光は壮大。

主はへりくだる人によってあがめられる。

高慢な者が被る災難は、手の施しようがない。

彼の中には悪が深く根を下ろしている。

賢者の心は、格言を思い巡らし、

知者の耳は、格言を熱心に聴く。



第2朗読 ヘブライ人への手紙 12章18-19 , 22-24a節


 (皆さん、)あなたがたは手で触れることができるものや、 燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、 更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、 近づいたのではありません。 しかし、あなたがたが近づいたのは、 シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、 無数の天使たちの祝いの集まり、 天に登録されている長子たちの集会、 すべての人の審判者である神、 完全なものとされた正しい人たちの霊、 新しい契約の仲介者イエス(なのです。)



福音朗読 ルカによる福音 14章1 , 7-14節


 安息日のことだった。 イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、 人々はイエスの様子をうかがっていた。

 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、 彼らにたとえを話された。 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。 あなたよりも身分の高い人が招かれており、 あなたやその人を招いた人が来て、 『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。 そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。 そうすると、あなたを招いた人が来て、 『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。 そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。 「昼食や夕食の会を催すときには、 友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。 その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、 足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。 正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」