2014年3月30日日曜日

四旬節第4主日

フィリピンのイースタービレッジを訪問されていた祐川神父様が
約4週間ぶりに帰国され、今日の主日ミサの司式をされました。


お説教の後、洗礼志願者のために清めと照らしをお祈りしました。
祐川神父様が、洗礼志願者に神の霊が注がれたしるしとして頭に手をおきました。


祐川神父様のお説教の一部を紹介します。

今日の典礼のテーマは”見る”です。
先週の福音は「サマリアの女」、今日(ヨハネ9章1-)は「生まれつき目の見えない人」と、聖書は私達の信仰をシンボリックに表現しています。
今日の福音で、イエス様は生まれつき目の見えない人と出会いますが、弟子たちは「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか」とたずねます。イエス様の答えは「神の業がこの人に現れるためである。」
この後、イエス様がこの人に行った行為、「泥を作って目に塗り」は天地創造を、「シロアムの池で洗う」は洗礼を想起させます。
四旬節は今日の福音にあるように「目の見えない人」がイエス様によって目を開かれて、そして「主よ、信じます」と宣言したように、洗礼志願者の目がだんだん開いてくるという信仰の歩みを確認していくための期間でもあります。
わたし達自身も、自らの洗礼を思い出して、今日のミサ聖祭を進めてまいりましょう。


【お知らせ】
  • 4月6日四旬節第5主日ミサ司式: 祐川神父様
  • 聖週間の司式予定: 勝谷太治司教様
  • 司祭異動で当教会に赴任される後藤神父様による主日の初ミサは5月11日(日)を予定しています。

2014年3月23日日曜日

四旬節第3主日、四旬節黙想会

今日の主日ミサは新海神父様(小野幌教会主任)の司式により行われました。
ミサの後、神父様による四旬節黙想会が行われました。


ミサを司式された新海神父様のお説教の一部をご紹介します。

四旬節で聖書は私たちに、祈り、節制、貧しい人たちへの奉仕を勧めています。
今日の福音(ヨハネ4章)は、イエス様とサマリアの女のお話です。
サマリア人はもともとユダヤ人と同じ民でしたが、紀元前6世紀に北の王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされたことにより、残された人々がアッシリア人と交わり別な神殿を建てたため、イエス様の時代にユダヤ人からは忌み嫌われ敵対関係にありました。
今日の福音の場面では、お昼ごろ1人で井戸のそばに座っていたイエス様が、水を汲みに来たサマリア人の女に「水を飲ませてください」と話しかけるところから始まります。
昼日中に、たった一人で水を汲みに来るような女性とは?村の中でも皆から白い目で見られ差別を受けていたと思われます。イエス様は、この女性の長い間抱えていた苦しみを一瞬のうちに捉えられました。
だからこそ、「あなたの水(人生の苦しみの水)を、私に飲ませてください(味あわせてください)」と言ったのでした。
そして、この女性に対し、「この井戸の水を飲むものはだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と言われたのでした。
イエス様は、イスラエルとサマリアの和解を願い、さらには人類にはびこる狭い民族主義を乗り超えて、神の国という形で実現しようとしました。
イエス様からほとばしり出る「信仰の水」、「命の水」を、どうかわたしたちにも飲ませてください。そのことを今日の福音でしっかり受けとめたいと思います。


ミサの後、引き続き、新海神父様による黙想会が行われました。



第1講話「老いについて」(聖堂)
高齢化社会を迎えている私たちは、キリスト者としてどのように老後を過ごしていけばいいのか?、様々な事例を交えてお話いただきました。

昼食(カテドラルホール)

第2講話「富と貧しさ」(カテドラルホール)
富自体は悪なのか?イエス様はお金自体は悪とは思っていなかったけれど、警戒するようにと言われています。「金持ちとラザロ」の譬えでは、何故、金持ちは死んでから神の裁きを受けたのでしょうか?それは、金持ちには、愛というものが欠如していたからです。「善きサマリア人のたとえ」では、だれが傷付いた旅人の隣人となったのか?
イエス様が示された新しい掟「互いに愛し合いなさい」。
マザーテレサが来日された時のお話。来日した際、荷物はたった一つの小さな手提げ袋だけだったこと。そして、真っ先に向かった先は山谷でした。次の日に東京カテドラルに行った際の第一声は「Poor is beautiful」、貧しい人々の心根は何と美しいのだろう、ということを学んだ。

以上のようなお話をいただきました。
詳細は、あらためてご紹介させていただきたいと思います。

新海神父様、大変有難うございました。

2014年3月22日土曜日

祭壇奉仕者選任式、助祭・司祭候補者認定式ミサ

 沖縄では海開き、高知では桜の開花宣言が出ました。長い日本列島、北の大地は根室では観測史上最高の1メートルを超える吹雪(根室教会の皆さんが心配です)、札幌でも昨夜からの降雪で除雪が大変でしたが、聖堂は全道から来られた方々の熱く温かい気持ちが溢れていました。司祭の道を志し神学生となられ、そのいくつかあるステップのひとつが今日の祭壇奉仕者選任式と助祭司祭候補者認定式です。
 勝谷司教様の「司祭のなり手が少ないこの時代に、この困難な道を選んだ2人の決心と今後の歩みを皆さんの祈りで支えていただき、認定式と選任式を受けられる2人の上に神の豊かな恵みと祝福を!」のお言葉でミサが始まり、式は、パウロ三木 佐久間力神学生の認定式、そして、パウロ 佐藤謙一神学生の選任式の順で厳かのうちに滞りなく進みました。

勝谷司教様によるミサ司式



パウロ三木 佐久間力神学生の認定式



パウロ 佐藤謙一神学生の選任式



派遣の祝福の前に、選任式、認定式を終えられたお2人と、神学生の簑島克哉さん(帯広教会)、今春神学校に入学をする梶沼大介さん(元町教会)の4人からご挨拶がありましたので少し披露します。

佐久間神学生(左側)と佐藤神学生(右側)からのご挨拶



今春から神学生になる梶沼さん(左端)と、箕島神学生(左から2人目)からのご挨拶




<佐藤謙一さん>
今日選任された奉仕者の役割はミサ典礼の中での祭壇奉仕にありますが、それと共に司教様の訓話にありましたように、キリストを信じるものとして、誠実な愛を示すこと、特に病者と弱者に対して示すことが求められています。神学校に戻りそれが実践できるように勉強を頑張ります。これからも私たち神学生へのお祈りを宜しくお願いします。
<佐久間力さん>
今日は嬉しい、の一言です。神学生としての修業期間が終わり、これから本格的に神学を勉強します。皆様に福音を伝える事が出来る司祭になれるよう頑張ります。そのためにも皆様の支えとお祈りを宜しくお願いします。
<簑島克哉さん>
佐久間さんの認定式は自分の事のように嬉しい。これからも一生懸命勉強をします。皆様のお祈りを宜しくお願いします。
<梶沼大介さん>
3年前に洗礼を受けました。司祭の不足と高齢化の話を聞いて、自分が役に立つならばと手を挙げました。宜しくお願いします。どうぞお祈り下さい。

神学生が祭壇の前に並んで其々のご挨拶が終わると同時に、身廊後方に座られている信徒の一人から「頑張れよー!」との掛け声が上がりました。ミサ中には滅多にないことですが、私たち信徒の気持ちを一瞬で表現するタイミングの良い掛け声でした。4人の神学生が祭壇前に並ぶ姿は圧巻でした。このまま順調に進みますと、2016年3月は、司祭叙階式、祭壇奉仕者選任式、朗読奉仕者選任式、助祭司祭候補者認定式が一遍に行われることになります。期待の膨らみと共に責任の重さも増え、毎日の祈りと一粒会を通じての支えの大切さを改めて感じさせて下さった選任式、認定式ミサでした。
佐藤さん、佐久間さん、おめでとうございます。そして簑島さん、梶沼さん、頑張って下さい。


勝谷司教様のお説教

勝谷司教様の説教概要
「始めにも話しましたが、司祭職を目指すという事は特殊な生き方を選ぶという事です。私は神学校に入れば自分の欠点は克服できると考えていましたが、25を過ぎた自分の傾きはそう簡単に治るものではなく、司祭を目前にしながらも中途半端なままだった。神学校生活のなかで素晴らしい人も大勢いましたが、私を含めて「(この人)神父になっていくのだろうか?」という人たちが司祭になっていきました。そこに不思議な神様の意図、弱い人間を通して導かれる神の業を感じることが出来ます。神学校で自分を相応しく変える努力は大切ですが、普通の社会とは異なり、カトリック教会では自分の弱さを見つめて、それを通して常に神が私を支え導いて下さる、そして多くの人たちの祈りに支えられて、司祭職を全うする為に様々な助けが自分にあるだろう、そのことをどれだけ深く感じ取ることが出来るか、更に言うならば、『他者の弱み痛さに共感できるために、自分自身の中にその様な弱さを充分に身につけているか』、とさえ言う事ができる。自分の力で司祭職を全うしようとすると途中で行き詰ってしまう。神学校生活の中で、神学生が学ぶのは勉学だけではなく、その様な内面的な霊性を身につけて行くことが不可欠です。それを通して自分が本当に司祭職に召されているかと言う事を確認して行く、その期間が神学校生活で与えられた期間です。そして、私たち教会は信徒を含めて、『この人は本当に司祭となるに相応しい人間であるか?』を養成されていく中で見極めて行くよう求められています。」


ミサが終わり退堂

2014年3月9日日曜日

3月9日(日) 四旬節第1主日 - 悪魔と戦争 -

四旬節最初の主日です。今日のミサ司式は、ケン・スレイマン神父様でした。この教会で司式するのは初めてだそうです。
ミサの中でお二人の求道者の洗礼志願式が行われました。


ケン神父様のお説教を紹介します。(事前に配られた原稿から抜粋)

『 皆さんおはようございます。2014年の四旬節、いらっしゃいませ。
今日の福音の中で、イエス様と悪魔が出会うことを読んで父の懐かしいことを思い出しました。1年前に父は天国に行きました。とても楽しい父でした。私には兄弟が7人いて弟が2人です。父は私たち息子たちの楽しみのために、自分の趣味を体験させてくれました。父の趣味の一つに、有名な戦争の場所に行ってその戦争の説明をして、それを感じることがありました。彼はアメリカのカトリック系のボストン大学に通っていた時に、歴史を勉強し、戦争についての興味が深くなりました。なぜならば、私の家族の歴史に戦争も関係あるからです。父のおばあちゃんがフランスのマリーアントワネットの親戚です。皆さんご存知だと思いますが、彼女は子供たちの命を守るために、フランスからスコットランドに送りました。
 その後で、スコットランドからカナダに移民しました。当時、カナダでスコットランドからのフランス系移民は、イギリス系移民と誰がカナダでリードするかのことで戦争になりました。
戦争の中で、私の親戚は大切なリーダーをしました。私の父はその歴史についてとてもプライドを持っていて、私が子供頃、毎年ニューヨークからカナダへ行って、私たちに戦争のことについて話してくれました。私も父の趣味から、家族のプライドと戦争について感心を持っています。この話と四旬節第1日曜日にどのような関係があるでしょうか?
 今日の福音(マタイ4・1-11)の中で、イエス様と悪魔は戦争の雰囲気を表しています。悪魔がイエス様に色々誘惑を通して乗り越えるために頑張っていました。でも、イエス様が一つずつ無視して、最後にイエス様が戦争に勝利しました。よかったね。
 皆さん、先週灰の水曜日から四旬節が始まりましたね。四旬節は40日間です。これは、イエス様の砂漠の中で悪魔と戦争を40日間マネするためです。イエス様と同じように私たちは、悪魔の誘惑を退けるために頑張らなければなりません。
 四旬節の中で私たちの中の魂の状況を清めるために頑張ります。もちろん、昨日より今日がもっといい自分になるために弱さを認めることが大切です。そして、もっと良くなる為に悪魔に従うのではなく、この40日の中でイエス様に従いますね。
 7世紀から四旬節の文化が今のようになりました。そして、自分の魂を清めるために、祈り・断食・施しを行います。
 祈りは、神様の存在とコミュニケーションするためにします。祈りを通して私たちは霊的な栄養をいただきます。神様の喜びを受けます。四旬節は他の人々を助ける目的もありますが、自分も助けるために祈り生活大切です。良いキリスト信者になるために祈りは空気と同じくらい大切です。歴史の中の有名な聖人達はみんな祈りの立場から施しを行いました。マザーテレサもです。
 断食は、食べ物だけを断ることではありません。例えば、テレビ・インターネット・電話・パチンコ・映画・レストラン行くことなどの娯楽や、憎しみ・悪口などもしないで、代わりに祈ったり、その娯楽に使うお金と時間を人を助けるために使うことを教会は勧めています。
 施しは、現在のフランシスコ教皇様の特徴です。彼は、口だけではなく、行いをするかっこいい教皇様ですね。彼は、教皇様になってから、色々な愛の業を通してイエス様の心を示しました。
 彼の模範を見て私たちはプライドを持っていますね。そして、イエス様の御言葉を思い出しますね。
 マタイによる福音25章40節の中でイエス様は、「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。」ですから、施ししながら、イエス様へもっと従うことができるでしょう。どうぞ皆さん、一人一人の場所から人々のニーズを満たすために頑張りましょう。
 2000年前にイエス様は当時の人を満たしながら喜びを与えたように、私たちも人々の人生に喜びを照らしましょう。
 四旬節の言葉は、英語で「Lent」です。これは古い英語です。その意味は、Springtime(春の時)の意味を含んでいます。
 札幌信者の皆さん、特に私たちはスプリングタイム必要です。雪多いでしょう。どうぞ皆さん、祈り・断食・施しを通して、札幌に早く春が来るよう頑張りましょう。ありがとうございます。』


神父様のお説教の後、洗礼志願式が行われました。


洗礼志願式に臨まれるお二人(中央の左が川口さん、右が石川さん)


ケン神父様からは、「お二人が、神様のかわいい娘達となれますように」
そして、何度もお二人に「がんばってね!」と温く声をかけられていました。

2014年3月2日日曜日

年間第8主日 「あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」

暦もいよいよ3月に入りました。
北国に暮らす私たちにとって、待ち遠しい春が一歩、一歩近づいて来ました。今日はとても穏やかな晴天に恵まれ、教会にも柔らかな日差しが降り注いでいました。


昨日、久しぶりに焼肉を食べに行きました。5日の灰の水曜日から始まる四旬節を前にしての一寸したカーニバルです。キリスト者の少ない日本では、キリスト教系のお祭りが少ないのですが、最近では勘違いも含め姿かたちを変えて、ハローウィン、メーデー、バレンタインデー、などが定着してきているようです。商業ベースであっても、またカトリックとの縁が薄くても、キリスト教文化と古来日本文化の交わりがすすむ事が楽しみです。
カーニバルを経て四旬節では「毎日の黙想」の巻頭言にもありました「赦し」について振返りたいと思います。


今日のミサは協力司祭の森田神父様です、お説教の一部をご紹介します。

空の鳥を見なさい、野の花を見なさい、と主は仰っています。更に主は、信仰の薄い者たちよ、と嗜められる。私たちは信仰が薄いと言われることに意外性を感じるが、これはキリストが戒めていると同時に励ましてもいるのです。もっと神を信じて良い。心配しなくても神が配慮して下さることを信じなさい。
第1朗読にあった、母親と乳飲み子の究極の愛、子のために命をも捨てることが出来る女が子を忘れても、私はあなたを忘れない、という言葉を私に与えられた神のみこころとして考え、刻み込んでいきたい。
心配は物事を悪化させる、神が必ず何かをして下さると信頼する、自分の子ども、家族のことを心配するならばそれも心配して下さる。私たちはその様に信じていきたい。そして、信頼しつつ努力をすることが良くなっていく事の秘訣です。
同時に今日の信頼しなさいという言葉は挑戦でもあります。
神の国と神の義を求めなさい、と言う言葉は言いかえれば、神のみこころを求めなさい、ということです。神のみこころを求めるのは、私たち信者は日常で意識していなくてはならない、私たちは神のために生きます。「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことはわからないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消える霧にすぎません。」とヤコブの手紙にあるように、私たちは営利のために働かなくてはならない時がありますが、神のみこころを探求する事をその上に置かなければなりません。
私たちが日常生活を変えなければならない時に、神のみことばはどちらかを考えて決断し、神の国と神の義を考えて行動したならば、神が面倒を見て下さる。
神の義を求めなさい、何を食べるか、何を着るか、全てを私は知っている、と言う神のみことばは、私達に大きな安心を与えると同時に、決定的な決断をする時に、一つの挑戦、一つの規範になる。
私たちには様々な挑戦がありますが、神にこたえることで、あなたのものを未来に派遣して行きたいと思います。


今週の水曜日(3月5日)は「灰の水曜日」、いよいよ四旬節が近づいてきました。
灰の水曜日に教会では、回心のしるしとして額に灰をかける「灰の式」という典礼があります。
昨日の土曜日、教会で灰の水曜日で使う灰の準備を行いました。
信徒の皆さんから回収した前年の枝の主日に聖別された棕櫚の枝を燃やして灰にしました。


完全に灰になるまで燃やします


けっこう、煙たいです・・・


できました!
お疲れ様でした

2014年2月25日火曜日

第15回 カテドラルコンサートのお知らせ

4月12日(土)15:00  カトリック北一条教会聖堂で、第15回 カテドラルコンサートを行います。

チケットは完売となりました

出演者:ソプラノ  小林木綿 陣内麻友美
バス・ドュ・ヴィオール 宇田川貞夫
リュート 高本一郎
オルガン 廣野嗣雄

プログラム:フランソワ・クープラン ルソン・ド・テネーブル全3曲
水曜日のための第1課  第2課  2声の第3課

当教会の主席オルガニスト 大野敦子さんからの紹介文です。
『このコンサートはぜひ多くの方に、特にカトリック信者さんに聴いていただきたいと思います。クープランが聖週間のために作曲した素晴らしい曲です。ほとんど演奏される機会がないのでそれほど有名ではありませんが、聖週間を目前にしたこの日に黙想をしながら聴くのもよいのではないかと思います。
出演者の皆さんも日本のバロック音楽界、そしてそれぞれの分野のスペシャリストです。日本を代表し、国際的に活躍なさっていらっしゃる方々です。』



是非、たくさんの方々に聴いていただきいと思います。
チケットは破格のお値段ですので、早々に売り切れることが予想されます。
どうぞお早めにお求め下さい。

2014年2月23日日曜日

年間第7主日

今日の福音(マタイ5・38-48)は、先週に引き続き「山上の説教」です。
イエス様の愛の教えが語られています。

今日の主日ミサを司式された祐川神父様のお説教をご紹介します。


今日の福音の冒頭でイエス様は、出エジプト21・24、レビ24・20に記されている「目には目を、歯に歯を」を引用され、「しかし、わたしは言っておく。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」と続けられます。すばらしい内容なのですが、一方では、私ならとても無理・・・、という反応もあります。最近放映されたドラマの影響で「倍返し、10倍返し」といった流行り文句がありましたが、「目には目を・・・」の教えは一見過激にみえますが、その根本には過剰な報復を戒める意味合いがあります。
今日の第一朗読「レビ記19・18」には、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とあります。「善きサマリア人のたとえ」(ルカ10・25-28)で、律法学者がイエス様に「わたしの隣人とはだれですか?」と尋ねますが、律法学者が言ったこの”隣人”の真意とは?
例えば敵がいると仮定するなら、隣人とはどこまでの範疇を指しているのでしょうか?”隣人”と限定するということ自体、”敵”の存在を前提としていることなのではないでしょうか?
イエス様を試そうとしたこの律法学者の問いに対するイエス様のお答えは、”敵”などそもそも存在しない、天の父は、悪人も善人にも雨を降らせてくれる。そして、私たちもその方向に進んでいきなさい、と示してくださっています。
ミサには、人を変える、社会を変える力があります。
御父の御心を探求していく、それは私たちキリスト者の特権でもあり、義務でもあります。

【お知らせ】
  • 4月12日(土)15:00 第15回カテドラルコンサートが行われます。売り切れが予想されます。チケットのお求めはお早めに。
 

  • 神学生のお三方が春休みで帰省中です。

  • 3月23日(日)四旬節第3主日、9時ミサ後に黙想会を行います。新海雅典神父様がお話する予定です。


  • 3月上旬から聖園幼稚園の移転工事が始まります。移転先は教会の現駐車場の跡地になります。今日の運営委員会でカトリック学園から説明がありました。急な話であったため、今後早急にカトリック学園と、移転にあたっての諸々の調整について話し合いを進めていくことになります。


2014年2月16日日曜日

年間第6主日 - 山上の説教 -

祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。


今日の福音朗読は、マタイ福音書の5章から7章にわたる「山上の説教」の中でも長いパートで、非常に厳しい内容となっています。モーセがシナイ山で神から十戒を授けられたように、イエスは山上で新しい”十戒”を示しました。モーセの十戒は非常に細かく規定された律法で、現実的に実行することは大変難しい内容です。イエスが山上で話された説教には、この律法を「神の言葉の原点に立ち返り完成させる」という意味が込められています。
山上の説教に、「敵を愛する」という教えがありますが、実行することはとても難しい、何故イエスは出来ないようなことを言ったのか?ここには、敵といえども人間として大事にしなさい、という意味が込めれています。そして、今すぐに実行することは難しいかもしれないが、確実にそちらの方向に進み律法を完成させるという意思が込めれています。
1936年に行われたベルリンオリンピックは、ドイツの宰相ヒトラーが白人種の優越性を証明することを望んだ大会でしたが、そんな中、アメリカ代表の黒人選手ジェシー・オーエンスは大活躍します。走り幅跳びでは優勝候補でありながら、予選で2回続けてファールを犯しピンチに陥ったとき、敵であるドイツ人選手ルッツ・ロングにアドバイスを受け、世界記録を出して金メダルを取ったという有名な逸話があります。
また、敵に塩を送った上杉謙信の話。宮沢賢治の「雨にも負けず」の一節にある「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」という言葉。アシジのフランシスコの平和の祈りの中の一節、「憎しみのあるところに、愛を、争いのあるところに、和解を」。これらの行いや言葉は、私たちにイエスの教えを喚起させてくれます。

【お知らせ】
札幌教区司祭の人事異動が発表されました(4月21日付け)。
祐川神父様が、当教会(北一条教会)主任司祭の任を解かれ、
代わって、後藤義信神父様(宮前教会・江差教会主任司祭)が主任司祭として来られることになりました。
祐川神父様は、昨年7月に当教会の主任司祭に就任されたばかりで、1年にも満たない在任期間でしたが、お説教をとおして私たちをお導きくださいました。
4月21日付け異動ですので、まだ2ヶ月間は在任されますが、今月末から3月半ばまでフィリピンへ行かれ、その後もいろいろとご予定が入っているようですので、今後お会いできる機会が限られるようです。歓迎会も開いていなかったので、何とか送別会は行いたいのですが・・・。

3月の主日ミサの予定は下記となっています。

3月2日(日):森田神父様
3月9日(日):ケン・スレイマン神父様
3月16日(日):富来神父様
3月23日(日):新海神父様(ミサ後、四旬節講話)

2014年2月9日日曜日

2月9日(日) 年間第5主日

今日の典礼は、「地の塩」、「世の光」がテーマになっています。

祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。


『フィリピン滞在中に地元の高校の先生から次のようなお話を聞きました。
高校生の男の子がある日うれしそうにしていたので「どうしたの?」と聞いてみたところ、父の違う面を発見したとのこと。
それは、朝食の時、父に「仕事は9時からなのに、どうしていつも早めに家を出るの?」と聞いたところ、「仕事の前にミサに与るためだよ」という答えが返ってきたそうです。その後、父と一緒に主日ミサで教会に行った際、教会でアンケートを取っていて、「あなたが朝のミサに来る理由は?」という問いに、こっそり覗いた父の回答には「息子の模範になるため」という内容が書かれてあったそうです。
今日の典礼のテーマは、「地の塩」、「世の光」についてです。マタイ福音書(マタイ5・13-16」ではイエスは弟子たちに「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」と言います。これは、「そうなりなさい」ということではなく、あなた方は既にそうなっているのだよ、と。さらに「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、・・・」と続けられますが、”立派な行い”とは、決して人に見せびらかしたり、自慢したりするためのものではなく、心からのものなのだということを教えてくれます。今日の第一朗読(イザヤ預言書 58・7-10)にある、主が言われる断食とは、形式的な行為としての断食ではなく、同胞に助けを惜しまない行為のことです。マザーテレサの行いも「地の塩」、「世の光」になりたいという純粋な心からのものでしょう。
札幌教区の信徒の皆さんの中にも、表には出て来ないけれど、人目に付かず奉仕いただいている方々がたくさんおられます。今日のみ言葉の意味を今一度考えてみる日としましょう。』

ミサの後、恒例の「雪割り」を行いました。
寒い中、英語ミサの方々も多数お手伝い下さいました。ベトナムの方、韓国の方など。
雪割の後、D地区の皆さんが用意してくださった熱々の豚汁をいただきました。
皆さん大変お疲れ様でした、そして有難うございました。

中江神父様の通夜、葬儀ミサ 2月7日(金)~8日(土) 



2月6日に帰天されたアシジのフランシスコ 中江 洋神父様のお通夜と告別葬儀ミサが、7日と8日の両日、当教会の聖堂で勝谷司教様の司式により行われました。
両日ともに、中江神父様の帰天を惜しみ多くの方々が来られました。特に葬儀ミサは300名を超え、聖堂に入れきれずに隣接するカテドラルホールでミサに与った方もおられました。通夜のお説教では場崎神父様、そして葬儀ミサでは勝谷司教様から、生前の中江神父様の略歴とご病気と供に歩まれた司祭生活についてお話がありました。




私たち信徒にとって、中江神父様のお説教は、やさしく、憐れみ深く、それでいて、熱く、力強く、神様の愛のみ言葉を私たちに届けてくれるものでした。
10年ほど前から、当教会の協力司祭を務められてからは、第3日曜日が神父様のミサ司式の日となっていました。表現が適当ではないかもしれませんが、神父様のお説教はまるで音楽のようでした。最初はゆっくりと静かに語りかけるように始まり、そして徐々にテンポアップしていき、最後はサビのように大きく力強い口調で語りかけてくれました。
しかし、肝臓がんの治療を始められてからは、徐々に体力も奪われてきているご様子で、香部屋で司式を控えている際も、俯きながら静かに椅子に腰掛けている姿が目立つようになってきました。それでも、口癖のように「ミサ中に倒れるようなことがあって、ご迷惑をお掛けすることもあるかもしれないが、こうして生かされているうちは、ミサを務めさせていただきます」とおっしゃられていました。
その後も幾度か入退院を繰り返されましたが、退院される度に体力の許す限りミサを司式されました。お説教でも以前のように思うように声が出なくなってきているのにもかかわらず、力強いお言葉で「神様は決して私たちを見捨てることはありません」と私たちに語りかけてくださいました。
一昨年(2012年)の12月16日の待降節第3主日に、約一年ぶりに中江神父様が当教会でミサを司式されるということで、ミサの後に黙想会をお願いしていたのですが、黙想会については残念ながら叶うことはありませんでした。それでも、その時のミサ司式のご様子はDVDに記録させていただくことができました。
今その映像を振り返ってみると、改めて中江神父様のお説教をとおして、神様の”み言葉”が力強く心に届いてきます。
神父様の柔和で優しい笑顔からは母性を、そして力強いお説教からは父性を感じておりました。
中江神父様、有難うございました。