大塚司教様は、列聖列福特別委員会委員長を務められており、高山右近の列聖列福に向けた活動を行われております。
今回は北一条教会で行われた講演会「現代にひびく右近の霊性―揺るぎない信仰に根ざした生涯」のために北海道に来られました。
大塚司教様のお説教の一部をご紹介します。
『今日の福音では、最後の晩餐の席でイエス様が弟子たちに、「あなたたちをみなしごにはしない、聖霊をおくる。」と約束されます。そしてそれを実現してくださるのが、私たちに注がれている聖霊というものです。
聖霊と聞くと、私たちは公教要理の父と子と聖霊の三位一体のようなことをイメージしてしまい、なかなか自分の信仰生活と結びつけて考えることが難しい面がありますが、それほど意識しなくても、私が神様のことを感じたい、神様が私を助けて下さっていると感じるとき、その時、聖霊が私の中で働いているという意味でいいと思うのです。
復活節は、復活されたイエス様が私たちとともに生きていることを実感する、それを喜ぶ季節です。
私が今日お話する高山右近も、聖霊の働きによって信仰を選んでいけたのだと思います。
今日私たちは、助け主、弁護者という聖霊の呼び方を聞いて、二つのことを心に刻みたいと思います。一つは、私が神様に助けられている、励ましてくださっている、辛いとき、寂しいとき、孤独なときに神様が私の傍にいてくださる、そのはたらきをしてくださるのが聖霊です。二つ目は、私が誰かのそばにいてその人を励ましてあげるということ、でもそれは私の力ではないのです。私が誰かの傍にいくとき、その人の傍に神様がおられることをその人に気付いてもらえるからです。
教皇フランシスコが、就任されてから一年になりました。皆さんも教皇様がどんな人柄かをご存知だと思いますが、教皇様は弱い立場の人、貧しい人の傍に、寄り添わなければなりませんとおっしゃています。そしてご自分も、教皇としてのはたらき、振舞いの中で、誰かの傍に寄り添うということを象徴的になさっているように思います。聖週間の聖木曜日に行う洗足式を、教皇様は今年、ローマ郊外の障害者の施設に行かれ、16歳から86歳までの12人の足を洗い接吻なさいました。そして昨年、教皇になって初めての洗足式は、ローマの少年院に行って、囚人たちの足を洗われました。その中には3人の女性、3人のイスラム教徒もいました。順番を待っている青年たちは涙を流していました。教皇様の中に神様の愛を感じ、神様が私の足を洗っている、そのことを感じ涙が出てきたのだと思います。
神様は私たちのことを励ましてくださっていると、いくら口で言っても、周りの人には響かないかもしれません。それよりもまず、私の傍に神様がいて、私は神様の力で生きているという体験や実感がなければならないと思います。
3年前の東日本大震災が起こった直後に、仙台の女の子がベネディクト16世教皇に、「どうして私はこんな酷い目に会わなければならなのでしょう?」と質問しました。教皇様は彼女にこう答えました。「どうして?と言われても私にも答えはわからない。でも私は、あなたの傍に、被災した人たちの傍に、今、神様がいらっしゃるということをあなたに分かって欲しい。」
普通ならば、「そう思いなさい」と押し付けるような励ましに方になったかもしれません。でも教皇様は、「神様が傍にいることを、私は知っている。それをあなたに知って欲しい。」とおっしゃられました。これは慰めというよりも、教皇自身の信仰宣言のようなものだといえます。
今日、イエス様は「いつまでもあなたがたとともにいる」という約束を一人一人に実現してくださっています。
このことを私たちは、普段からもっと気付き、気付いた分だけ周りの人に、そのことを自分の体験として伝えていく、そのような意味で派遣されいるということを思いながら、今日のミサを与かりたいと思います。』
ミサの後、カテドラルホールで後藤神父様の歓迎会が行われました。
後藤神父様からのご挨拶(左隣は大塚司教様)
大塚司教様からもご挨拶をいただきました