2019年12月27日金曜日

12月25日(水)主の降誕(日中のミサ)

平日の日中にも係らず、聖園幼稚園の子供たちをはじめ350名の方がミサに参加しました。ミサ後には聖堂内装飾の紹介を行いました。


この日の森田神父様のお説教の大要をご紹介します。

『昨夜は馬小屋を見ながら、この世にこられたイエス・キリストのお祝いをしました。
今日読まれた福音朗読は少し難しくて、昨日こられたイエス様というのは本来の姿はどういうものであるか、人間となられる前の本来の姿はいったいどういうものであるか、ということを語っています。ひじょうにちょっと深くて、普段ちょっと私たちが考えなかったように、この世の創造にかかわるようなことです。
 そして、はじめに言(ことば)があった。言(ことば)がいっぱいでてきます。この「言(ことば)」をイエスに置き換えて読むということです。イエス様が神の言(ことば)であると言われているように。ただ、言(ことば)という言葉には訳しきれない。元々のギリシア語は「ロゴス」と言います。はじめにロゴスがあった。このロゴスはわたしたちが使っている「言(ことば)」という単語ではとてもとても、全部を表していない。もっと深い内容をもっています。例えば「知恵」とも訳されます。言(ことば)は神の知恵。あるいは神の英知。いろんな言葉がそこに入ります。あるいは、もっと大きく言うと、宇宙と生命の源であるというふうに。天の御父、神様はイエス様とともにこの世を創造なされたということが、ここに書かれているのです。イエス様は神の子であって、御父の心であって、知恵であって、御父とともにこの世を創造なさった神である。というのが私たちの信仰ですね。ですからそこまでいくと本来のイエス様の姿をとらえるのは私たちにはとても難しくて、人となってくだされなければ分からないというぐらいの方なのです。
 そこでイエス様はあるとき教えの中で、私のことは御父以外には誰も知らない、とおっしゃったことがあります。私のことは御父以外には誰も知らない。つまり33年の生涯をおくられたイエス様のこの世の生涯については、私たちは聖書をとおして知っていますが、その本来のお姿は神の子としての、神の英知として、宇宙に満ちたそういう本来の姿は私たちにはとらえるのは難しい。そういう意味合いがこめられているのだと思います。

 そういうような言(ことば)が人となられた。赤ちゃんとなって馬小屋の中で生まれてくださったのです。そしてこの方によって私たちも大きな恵みを受ける。そういう御方から私たちと同じ人間となってくださり、本当に2000年前に33歳の生涯をおくってくださった。そのことによって私たちとその神様との距離がうんと縮められます。私たちも神様のいのちに与る者としていただいた。
 それはいろいろな意味があります。そのことを今日は思い起こす。この人となってくださった方がいったいどういう御方であるのか。それは少し難しいけれど、御父とともにこの世を創造された方です。この方に私たちは、「恵みの上にさらに恵みを受ける」(ヨハネ1章16節)ことになりますよう、そういうことを教えています。このみ言葉をもう一度読んで、言葉(ことば)というところに「イエス様」を入れて(置き換え)、本来のこの単語では訳しきれない、深い広い意味だということを思いながら、もう一度、ゆっくりと家で読んでいただければと良いと思います。』