2020年8月2日日曜日

年間第18主日

湯澤神父様から届きました主日メッセージ「福音の一言」をご紹介します。

2020年8月2日 年間第18主日(マタイ、14章13~21節)
✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様
今日の福音の個所に関して、フランシスコ会訳では「パンを増やす」というサブタイトルがついています。こうしたタイトルがついていると、どうも私たちは、そこで起こった奇跡、パンが増えたことに関心が向いてしまいます。共同訳では「五千人を養う」となっています。こうしたタイトルは聖書についていませんから、訳した人の理解が反映されており、良し悪しに関係なく、読む人はそれに左右されてしまいます。
さて、イエス様の目の前にいる人々は群れを成して町から出て、イエス様の後を追ってきた人たちです。その人たちは、哀れを模様させる人たちで、夕方で空腹を感じています。イエス様は彼らを草の上に座らせます。そして、満腹するまでパンと魚で養います。こうした状況から、ある連想が可能になります。それは、モーセの後を追って荒れ野を旅しているイスラエルの人々のイメージです。マタイの福音を聞く人々は、律法を大切にしたユダヤ人キリスト教徒の伝統を受け継いでいますから、こうした連想は容易ではなかったかと思います。
エジプトを出たイスラエル人は、ヒツジやヤギを連れ、そのため草地を求めながら旅していました。現地調達する食料は、常に潤っていたわけではないでしょう。むしろ手に入れることは困難を極めたでしょう。空腹を感じて、モーセに文句も言いたくなります。モーセが目の前の飢えた哀れな人たちを見て、神様に取り次ぐと、神様はマンナを、そして海から飛んでくるウズラを与え、こうして旅の終わりまで養い続けたと書かれています。イスラエルの人たちは、人生の旅の中、常に自分たちと共にいて、養い、配慮してくれるいつくしみ深い神様を感じることができました。マタイの福音を聞く人たちにとって、イエス様の出来事と旧約聖書の出来事を重ね合わるという連想は、容易だったのではないかと思います。出エジプト後の旅の間、常に民族と共にいてくれたあの神様の姿を、イエス様の中にも見た時、共にいる神様(インマヌエル)であり、世の終わりまで私たちと共にいる神様であると理解できたのではないかと思います。
私たちは、「日々の糧を今日もお与えください」と祈りながら、日々の一つ一つの出来事の中に、共におられる神様の慈しみ深い配慮を感じ取っているでしょうか。マタイがもとにしたマルコ福音書では、「心が頑なで、パンの出来事が理解できなかった」ので、湖の上を歩くイエス様の出来事にただ驚くだけだった、と書いています。しかし、マタイは、ペトロの出来事も含めて、イエス様が神様(神の子)だと認めたと書いています。私たちも信仰を見直してみる必要があるかもしれません。サブタイトルのようにパンが増えたと驚いて終わってしまうのか、更に深くまで連想を及ぼすことができるのか。それによって神様の実感そのものが変わってくるのではないでしょうか。       湯澤民夫


【日本カトリック平和旬間】

1981年 教皇ヨハネ・パウロ二世は広島で「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことである」と言われ、日本国内外に平和メッセージを発信しました。戦争を振り返り、平和を思うとき、平和は単なる願望ではなく、具体的な行動でなければなりません。
日本のカトリック教会は、その翌年(1982年)、もっとも身近で忘れることのできない、広島や長崎の事実を思い起こすのに適した8月6日から15日までの10日間を「日本カトリック平和旬間」と定めました。
(カトリック中央協議会より)

北一条教会では、平和を祈り、次の時間に教会の鐘を鳴らします。
皆様は、それぞれの場所で、同じ時刻に「ロザリオの祈り」、フランシスコの「平和を求める祈り」等を祈りましょう。

8月6日(木曜日)8時15分   ヒロシマ原爆犠牲者のため。
8月9日(日曜日)11時02分  ナガサキ原爆犠牲者のため。
8月15日(土曜日)12時00分  すべての戦争犠牲者のため。