2022年1月14日金曜日

1月16日 年間第2主日

 湯澤神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音メッセージ 湯澤神父】


2022年1月16日 年間第2主日

✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様

 今日の福音は、有名なカナの婚宴の出来事です。「み言葉の賛歌」と「洗礼者ヨハネ」の話が終わって、第二章だし、福音本文に入っているのかなと思ってしまいます。が、日付からすると「はじめに」で始まる日から数えて七日目、ちょうど『創世記』の「はじめに」で始まる天地創造のお話の第七日目に当たります。それで、区切りとしては、序文に属するようです。そんなこんなで、たくさんのことを味わうことができる個所です。

 皆さんもそうかもしれませんが、私は、この福音の箇所で、非常に不思議に思う言葉があります。それは、葡萄酒がなくなったことを告げに来た母親に向かって「婦人よ」と呼びかけるのに用いている言葉です。自分の母親と同じ年の女性に向かって、尊敬の意味を込めて「婦人よ」ということは不思議ではありません。しかし、どう考えても自分の母親に向かってこうした呼び方はしません。一番新しい訳では、「女よ」となっています。ますます二人の人間関係について、訳が分からなくなります。

 イエス様の答えの内容も不思議で、「私と何の関係もないでしょ」というものです。理由は、「私の時はまだ来ていない」ということでした。あえて捉えれば、「あなたの気遣っていることと、私の死と復活時と、今は無関係です」という意味でしょう。ここから少し飛ばして福音書の終わりの方を見てみましょう。十字架の場面でもう一度この「婦人よ」という呼びかけが出てきます。その箇所は、イエス様が自分の愛する弟子たちをマリア様に委ねていく場面です。「これがあなたの子供たちです」と。そして、愛する弟子には、「これがあなた方のお母さんです」。実は、マリア様が本当に気遣うべきものは、イエス様が委ねていこうとしていた弟子たちだったです。マリア様は、それで「私たちの母」、「私たちの貴婦人(ノートル・ダーム)」になるのです。その時こそイエス様の時、死と復活の時、新しい契約が結ばれた時なのです。

 もう一つ連想を広げると、マリア様の召使に向かって語り掛ける言葉に行き着きます。「この人の言葉にはすべて従ってください」。この言葉は、エジプトを出たイスラエルの人々にモーセが語り聞かせた神の言葉に対する民の答えを思い起こさせます。イスラエル人たちは、「主の言葉と掟には、全て聞き従います」と答えます。そういう民にモーセは血を振りかけ、イスラエルは神の民となり、契約が成立(旧約)します。イエス様が愛する弟子を委ねていくとき、イエス様の血(葡萄酒)によって新しい契約が成立します。新しい民は、あの召使のように、イエス様のことばに全て聞き従う人たちなのです。

 こうして、聖書の箇所を読み、連想を広げていくと、時間が過ぎるのを忘れてしまうことがあります。皆さんもこうして色々と福音を味わってみませんか。   湯澤民夫



【聖書朗読箇所】


愛の源である神よ、

  あなたは心から祈る者の声を聞き、

  こたえてくださいます。

  この集いを主キリストとともに祝う喜びの宴としてください。

  賛美と感謝をささげる一人ひとりのうちに、

  あなたの愛が満ちあふれますように。

   集会祈願より



第1朗読 イザヤ書 62章1~5節


シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず

エルサレムのために、わたしは決して黙さない。

彼女の正しさが光と輝き出で

彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。


諸国の民はあなたの正しさを見

王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。

主の口が定めた新しい名をもって

あなたは呼ばれるであろう。


あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり

あなたの神の御手の中で王冠となる。


あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく

あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。

あなたは「望まれるもの」と呼ばれ

あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。

主があなたを望まれ

あなたの土地は夫を得るからである。


若者がおとめをめとるように

あなたを再建される方があなたをめとり

花婿が花嫁を喜びとするように

あなたの神はあなたを喜びとされる。



第2朗読 コリントの信徒への手紙一 12章4~11節


賜物にはいろいろありますが、

それをお与えになるのは同じ霊です。


務めにはいろいろありますが、

それをお与えになるのは同じ主です。


働きにはいろいろありますが、

すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。


一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。


ある人には“霊”によって知恵の言葉、

ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、

ある人にはその同じ“霊”によって信仰、

ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、

ある人には奇跡を行う力、

ある人には預言する力、

ある人には霊を見分ける力、

ある人には種々の異言を語る力、

ある人には異言を解釈する力が与えられています。


これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、

“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。



福音朗読 ヨハネによる福音書 2章1~11節


三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。

イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。


ぶどう酒が足りなくなったので、

母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。

イエスは母に言われた。

「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。

わたしの時はまだ来ていません。」


しかし、母は召し使いたちに、

「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。


そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。

いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。


イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、

召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。

イエスは、

「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。

召し使いたちは運んで行った。


世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。

このぶどう酒がどこから来たのか、

水をくんだ召し使いたちは知っていたが、

世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。

「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、

酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、

あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」


イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。

それで、弟子たちはイエスを信じた。