2014年2月23日日曜日

年間第7主日

今日の福音(マタイ5・38-48)は、先週に引き続き「山上の説教」です。
イエス様の愛の教えが語られています。

今日の主日ミサを司式された祐川神父様のお説教をご紹介します。


今日の福音の冒頭でイエス様は、出エジプト21・24、レビ24・20に記されている「目には目を、歯に歯を」を引用され、「しかし、わたしは言っておく。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」と続けられます。すばらしい内容なのですが、一方では、私ならとても無理・・・、という反応もあります。最近放映されたドラマの影響で「倍返し、10倍返し」といった流行り文句がありましたが、「目には目を・・・」の教えは一見過激にみえますが、その根本には過剰な報復を戒める意味合いがあります。
今日の第一朗読「レビ記19・18」には、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とあります。「善きサマリア人のたとえ」(ルカ10・25-28)で、律法学者がイエス様に「わたしの隣人とはだれですか?」と尋ねますが、律法学者が言ったこの”隣人”の真意とは?
例えば敵がいると仮定するなら、隣人とはどこまでの範疇を指しているのでしょうか?”隣人”と限定するということ自体、”敵”の存在を前提としていることなのではないでしょうか?
イエス様を試そうとしたこの律法学者の問いに対するイエス様のお答えは、”敵”などそもそも存在しない、天の父は、悪人も善人にも雨を降らせてくれる。そして、私たちもその方向に進んでいきなさい、と示してくださっています。
ミサには、人を変える、社会を変える力があります。
御父の御心を探求していく、それは私たちキリスト者の特権でもあり、義務でもあります。

【お知らせ】
  • 4月12日(土)15:00 第15回カテドラルコンサートが行われます。売り切れが予想されます。チケットのお求めはお早めに。
 

  • 神学生のお三方が春休みで帰省中です。

  • 3月23日(日)四旬節第3主日、9時ミサ後に黙想会を行います。新海雅典神父様がお話する予定です。


  • 3月上旬から聖園幼稚園の移転工事が始まります。移転先は教会の現駐車場の跡地になります。今日の運営委員会でカトリック学園から説明がありました。急な話であったため、今後早急にカトリック学園と、移転にあたっての諸々の調整について話し合いを進めていくことになります。


2014年2月16日日曜日

年間第6主日 - 山上の説教 -

祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。


今日の福音朗読は、マタイ福音書の5章から7章にわたる「山上の説教」の中でも長いパートで、非常に厳しい内容となっています。モーセがシナイ山で神から十戒を授けられたように、イエスは山上で新しい”十戒”を示しました。モーセの十戒は非常に細かく規定された律法で、現実的に実行することは大変難しい内容です。イエスが山上で話された説教には、この律法を「神の言葉の原点に立ち返り完成させる」という意味が込められています。
山上の説教に、「敵を愛する」という教えがありますが、実行することはとても難しい、何故イエスは出来ないようなことを言ったのか?ここには、敵といえども人間として大事にしなさい、という意味が込めれています。そして、今すぐに実行することは難しいかもしれないが、確実にそちらの方向に進み律法を完成させるという意思が込めれています。
1936年に行われたベルリンオリンピックは、ドイツの宰相ヒトラーが白人種の優越性を証明することを望んだ大会でしたが、そんな中、アメリカ代表の黒人選手ジェシー・オーエンスは大活躍します。走り幅跳びでは優勝候補でありながら、予選で2回続けてファールを犯しピンチに陥ったとき、敵であるドイツ人選手ルッツ・ロングにアドバイスを受け、世界記録を出して金メダルを取ったという有名な逸話があります。
また、敵に塩を送った上杉謙信の話。宮沢賢治の「雨にも負けず」の一節にある「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」という言葉。アシジのフランシスコの平和の祈りの中の一節、「憎しみのあるところに、愛を、争いのあるところに、和解を」。これらの行いや言葉は、私たちにイエスの教えを喚起させてくれます。

【お知らせ】
札幌教区司祭の人事異動が発表されました(4月21日付け)。
祐川神父様が、当教会(北一条教会)主任司祭の任を解かれ、
代わって、後藤義信神父様(宮前教会・江差教会主任司祭)が主任司祭として来られることになりました。
祐川神父様は、昨年7月に当教会の主任司祭に就任されたばかりで、1年にも満たない在任期間でしたが、お説教をとおして私たちをお導きくださいました。
4月21日付け異動ですので、まだ2ヶ月間は在任されますが、今月末から3月半ばまでフィリピンへ行かれ、その後もいろいろとご予定が入っているようですので、今後お会いできる機会が限られるようです。歓迎会も開いていなかったので、何とか送別会は行いたいのですが・・・。

3月の主日ミサの予定は下記となっています。

3月2日(日):森田神父様
3月9日(日):ケン・スレイマン神父様
3月16日(日):富来神父様
3月23日(日):新海神父様(ミサ後、四旬節講話)

2014年2月9日日曜日

2月9日(日) 年間第5主日

今日の典礼は、「地の塩」、「世の光」がテーマになっています。

祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。


『フィリピン滞在中に地元の高校の先生から次のようなお話を聞きました。
高校生の男の子がある日うれしそうにしていたので「どうしたの?」と聞いてみたところ、父の違う面を発見したとのこと。
それは、朝食の時、父に「仕事は9時からなのに、どうしていつも早めに家を出るの?」と聞いたところ、「仕事の前にミサに与るためだよ」という答えが返ってきたそうです。その後、父と一緒に主日ミサで教会に行った際、教会でアンケートを取っていて、「あなたが朝のミサに来る理由は?」という問いに、こっそり覗いた父の回答には「息子の模範になるため」という内容が書かれてあったそうです。
今日の典礼のテーマは、「地の塩」、「世の光」についてです。マタイ福音書(マタイ5・13-16」ではイエスは弟子たちに「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」と言います。これは、「そうなりなさい」ということではなく、あなた方は既にそうなっているのだよ、と。さらに「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、・・・」と続けられますが、”立派な行い”とは、決して人に見せびらかしたり、自慢したりするためのものではなく、心からのものなのだということを教えてくれます。今日の第一朗読(イザヤ預言書 58・7-10)にある、主が言われる断食とは、形式的な行為としての断食ではなく、同胞に助けを惜しまない行為のことです。マザーテレサの行いも「地の塩」、「世の光」になりたいという純粋な心からのものでしょう。
札幌教区の信徒の皆さんの中にも、表には出て来ないけれど、人目に付かず奉仕いただいている方々がたくさんおられます。今日のみ言葉の意味を今一度考えてみる日としましょう。』

ミサの後、恒例の「雪割り」を行いました。
寒い中、英語ミサの方々も多数お手伝い下さいました。ベトナムの方、韓国の方など。
雪割の後、D地区の皆さんが用意してくださった熱々の豚汁をいただきました。
皆さん大変お疲れ様でした、そして有難うございました。

中江神父様の通夜、葬儀ミサ 2月7日(金)~8日(土) 



2月6日に帰天されたアシジのフランシスコ 中江 洋神父様のお通夜と告別葬儀ミサが、7日と8日の両日、当教会の聖堂で勝谷司教様の司式により行われました。
両日ともに、中江神父様の帰天を惜しみ多くの方々が来られました。特に葬儀ミサは300名を超え、聖堂に入れきれずに隣接するカテドラルホールでミサに与った方もおられました。通夜のお説教では場崎神父様、そして葬儀ミサでは勝谷司教様から、生前の中江神父様の略歴とご病気と供に歩まれた司祭生活についてお話がありました。




私たち信徒にとって、中江神父様のお説教は、やさしく、憐れみ深く、それでいて、熱く、力強く、神様の愛のみ言葉を私たちに届けてくれるものでした。
10年ほど前から、当教会の協力司祭を務められてからは、第3日曜日が神父様のミサ司式の日となっていました。表現が適当ではないかもしれませんが、神父様のお説教はまるで音楽のようでした。最初はゆっくりと静かに語りかけるように始まり、そして徐々にテンポアップしていき、最後はサビのように大きく力強い口調で語りかけてくれました。
しかし、肝臓がんの治療を始められてからは、徐々に体力も奪われてきているご様子で、香部屋で司式を控えている際も、俯きながら静かに椅子に腰掛けている姿が目立つようになってきました。それでも、口癖のように「ミサ中に倒れるようなことがあって、ご迷惑をお掛けすることもあるかもしれないが、こうして生かされているうちは、ミサを務めさせていただきます」とおっしゃられていました。
その後も幾度か入退院を繰り返されましたが、退院される度に体力の許す限りミサを司式されました。お説教でも以前のように思うように声が出なくなってきているのにもかかわらず、力強いお言葉で「神様は決して私たちを見捨てることはありません」と私たちに語りかけてくださいました。
一昨年(2012年)の12月16日の待降節第3主日に、約一年ぶりに中江神父様が当教会でミサを司式されるということで、ミサの後に黙想会をお願いしていたのですが、黙想会については残念ながら叶うことはありませんでした。それでも、その時のミサ司式のご様子はDVDに記録させていただくことができました。
今その映像を振り返ってみると、改めて中江神父様のお説教をとおして、神様の”み言葉”が力強く心に届いてきます。
神父様の柔和で優しい笑顔からは母性を、そして力強いお説教からは父性を感じておりました。
中江神父様、有難うございました。

2014年2月7日金曜日

【訃報】 中江 洋神父様が帰天されました



当教会協力司祭 アシジのフランシスコ 中江 洋神父様(77歳)におかれましては、
2月6日午前11時16分に帰天されました。茲に謹んでお知らせいたします。

中江神父様は、42年間の司祭生活のうち、21年間をご病気とともに歩まれました。
その姿は、私たちに励ましと希望を与えてくださるものでした。
中江神父様のお説教は、力強く、やさしく、慈悲深く、私たちにイエス様の愛を教えてくださるものでした。
中江神父様の永遠の安息のためにお祈りいたしましょう。

葬儀等の日程
通夜                2月7日(金) 午後6時00分
告別葬儀ミサ    2月8日(土) 午前10時00分
場所                カトリック北一条教会 聖堂
喪主                勝谷 太治 司教様




2014年2月2日日曜日

2月2日(日) 主の奉献

 今日は主の奉献の祝日でした。教会の重鎮の一人O女史によると「昔はマリアの清めの祝日と呼ばれ、ヨーロッパではクリスマスの終わりの日としてツリーを燃やして大勢で祝う」そうです。札幌では水曜日(5日)から雪祭りが始まります。教会から歩いて10分の大通り公園には高さ10mを超える大雪像がいくつも完成間近となり、道外や外国からの200万人を超えるお客様を迎える準備に入りました。この時期、ヨーロッパでは弱くなった太陽に光が戻り、春の始まりを祝いますが、札幌は真冬日が続く中で冬のクライマックス「雪祭り」を中心として心の底から冬を楽しみます。ところで、ミサの中での連絡事項で、主任司祭(祐川神父様)は2月末から3週間イースタービレッジに戻られる、との説明がありました。フィリピン・ミンダナオ島の2月の平均最低気温は22度だそうです。どうぞ健康に留意されフィリピンの仲間に福音をお伝え下さい。

ミサの中での祐川神父様のお説教の一部を紹介します。


 イスラエルにとって最も宗教的で大事な体験は、出エジプトです。鴨居に血が塗られた家を神が過ぎ越して行き、エジプトの初子が撃たれイスラエルの初子は撃たれなかった。その事が原因となってファラオはイスラエルを開放します。
 イスラエルの伝統では、初子は、子どもと言うのは、両親に与えられたものではなく、両親に預けられたもの、神から委ねられたものと言う考え方がある。ですから私たちの命そのものも、自分のものと考えがちですが、神から「この命を生きなさい!」と預けられたものです。
皆さんは、私の命は神のものであると考え生きていますか?
 神から預けられたこの命を思い切り生きよ、恵みとして預けられた命を生きることを召命と、命に召されている、と呼びます。
 今日、神殿でイエスが奉げられたが、イエスは人類の贖い主として、ご自身の命、ご自身の血でもって全人類を贖われた。シメオンは4つの事を言っている、①イエスはメシアである。②イエスはイスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりした。③イエスはイスラエルの誉れとなる。④イエスは異邦人を照らす光となる。また、今日のヘブライ書には「事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがお出来になるのです」とあります。メシアと言うのは罪やキズと言うものを知らない方ではなく、私たち以上に良くご存知で、だからこそ救い主になれた。神の愛の最高のシンボルは「キズだらけのイエス」、十字架に懸けられ、血だらけになっても人を愛そうとし、血だらけになっても罪人を赦そうとする、この人たちは何をしているのかわからないのです、この人たちを赦して下さい。徹底的に最後まで、その人が理解できなくても、その人と歩もうとされる。
 そのことを、主の奉献の今日、私たち自身の奉献、命を預かっているものとしてどういう奉献が出来るか、一人ひとり自身の召命として考えてみましょう。

「最後のアダムであるキリストは、父とその愛の秘義の啓示によって、人間を人間自身に完全に示し、人間の高貴な召命を明らかにする」(現代世界憲章22)


【お知らせ】

  • 灰の水曜日(3月5日)のミサで使用する灰を準備するため、昨年の受難の主日にお配りした枝の回収を2月9日(日)から始めます。なお、灰の水曜日の司式は、祐川神父様不在のため、勝谷司教様の司式を予定しています。
  • 雪割り:今年2回目の雪割りを2月9日(日)の9時ミサ後に行いますのでご協力お願いいたします。
  • 支援活動:2月はフィリピン イースタービレッジへの支援活動の一環として、また3月は東日本大震災の支援として、聖堂内に募金箱を設置します。皆様の温かいご支援をお願い申し上げます。
  • 教会学校の雪遊び:2月16日(日)の9時ミサ後に雪遊びを行います。元気な子供あーつまれ!
  • まだ、正式な日程は決まっていませんが、3月21日(春分の日)に、佐久間神学生の司祭助祭候補者認定式と、佐藤神学生の祭壇奉仕者選任式が行われる予定になっています。また、この春からは新にもう1人神学生が誕生することになります。私たちにも出来る”応援”をしていきましょう。


2014年1月26日日曜日

年間第3主日

今日のマタイ福音書(マタイ4・12-23)では、イエスの宣教開始を伝えています。

今日の主日ミサを司式された祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。


『先週の木曜日に、かでる2・7で行われた北海道知的障がい福祉協会の研修会に講師として呼ばれて行ってきました。何故私が?と思ったのですが、環境が整っていないフィリッピンで福祉活動を行っていることから、という理由だったのでお引き受けしました。その講演では、福祉活動は「しなければならないこと」、「できること」、「やりたいこと」、この3点をバランス良く行っていくことが大切です、というお話をしました。福祉活動は当初は理想を掲げてやっていても、ややもすると、「しなければならないこと」のウェイトが高くなってしまい、「何のためにやっているのか」という最も大切なことを見失ってしまうからです。また、障害者はいわゆる「handicapped persons by society」であり、社会によってハンディキャップを負わされていると理解することが大切です。

さて、今日のマタイ福音書では、イエス様の宣教活動の開始が書かれており、その中で、漁師だったペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネをイエス様が弟子になるよう誘う場面が出てきます。そして彼らに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われます。彼らは漁師であり、魚を取るプロですが、人間の扱いではプロではありません。
何故、イエス様はそのような彼らを弟子に誘ったのでしょうか?
もしこれが企業であれば、決して優秀とはいえない人材を採用したイエス様は、社長としては失敗としかいいようがないはずです。
また、彼ら以外にも、当時は軽蔑の対象であった職業である徴税人のマタイ、過激派にも例えられる熱心党のシモン、後にイエス様を裏切ることになるユダ、そして本来では最も近づけてはならないはずの迫害の中心人物であったパウロさえも招き入れました。
しかし、イエス様のこの行いこそが、あるがままを受け入れるというイエス様の愛の教えを如実に現していると言えます。そして初代教会から現在の教会に至るまでの根底にもこの姿勢が貫かれていますが、第2朗読「使途パウロのコリントの教会への手紙」では、理想を持ってスタートしたはずの初代教会も大きな問題を抱えていたことが書かれています。
そして、2000年後の今日の教会においても様々な問題があります。札幌教区でも司祭不足は一向に解消されず、特に人口が多い札幌市からの司祭はここ何十年も誕生していないという現実があります。

明日、明後日と新司教が誕生してから初めての全道司祭会議が行われ、いよいよ新体制の具体的なスタートがきられます。勝谷司教様のモットー「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」、そして年頭書簡で示された「司祭中心の教会から信徒中心の教会へ」というテーマを念頭に入れ、神様が欠点だらけの私たちを教会に招いてくれたことの意味と、これから私たちが出来ることは何か?ということを考えていきましょう。』

御ミサの後、運営委員会が行われました。
下記のことが話し合われました。

【お知らせ】

  • H26年度教会総会日程:第一候補(5月18日)、第二候補(5月11日)
  • 2月9日(日)ミサの後、今年2回目の雪割りを予定しています。
  • 3月の上旬から3週間ほど、祐川神父様がフィリピン イースタービレッジに行かれる予定です。
  • 信徒による電話当番の簡単な対応マニュアルを用意することになりました。
  • 教会内でのコミュニケーションを深めることの助けとして「名札」を付ける取り組みをすることになりました。最初は運営委員会メンバーが率先して始めることにしました。
  • 4月12日(土)第15回カテドラルコンサートを行うことになりました。開演予定 15:00、内容 フランソワ・クープラン ルソン・ド・テネーブル全曲演奏会、出演:ソプラノ 小林木綿・陣内麻友美、オルガン 廣野嗣雄、ヴィオラ・ダ・ガンバ 宇田川貞夫

2014年1月19日日曜日

年間第2主日 - 神の子羊 -

A年の年間主日が、今日からはじまります。
今日のミサ聖祭は、祐川神父様の司式により行われました。
神父様のお説教の一部をご紹介します。


今日の福音朗読(ヨハネ 1・29-34)の冒頭部では、自分の方へイエスが来られるのを見た洗礼者ヨハネが、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」と言いました。
「神の子羊」の意味するところは何でしょうか?
旧約聖書において一貫して流れている神の子羊のイメージとしては3つあります。
一つめは、Ⅱサムエル記12章で、罪を犯したダビデに神が遣わした預言者ナタンが、ダビデに対して語った出来事の中に出てくる「愛される子羊」です。
二つ目は、レビ記1章で、祭壇に捧げられる子羊、すなわち「犠牲と苦難の子羊」です。
そして、三つ目は、イザヤ53章で、民の罪を贖う主の僕の比喩に出てくる「栄光の子羊」です。
これから行われる聖体拝領の前に、平和の賛歌の中で「神の子羊」がうたわれます。
今日のミサ聖祭は、この「神の子羊」のことを念頭に入れ進めていきたいと思います。


閉祭のお知らせの中で、神父様から次のようなお話がありました。

1月2日から10日まで、高校生とスタッフの合計13名で、私が施設長を務めているフィリピンのイースタービレッジで過ごしてきました。
勝谷司教様から、2014年 年頭司牧書簡が示され、「司祭中心の教会から信徒中心の教会へ」というテーマが掲げられています。
この教会は、司教座聖堂ですので司教様は比較的身近におられますが、そのこととは別に、一小教区として、司教様の考えをじかに聞く機会を設けてはいかがでしょう?
というお話がありました。


ミサの後、第一次”雪割り”を行いました。日中も気温は氷点下だったので、硬く締まった雪氷を排雪するのに難儀しました。


聖堂の窓の下も排雪しました。




2014年1月12日日曜日

主の洗礼

今日は「主の洗礼」の祝日です。マタイ福音書(3・13-17)では、イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けられる様子が描かれています。

今日のミサは勝谷司教様の司式でした。
司教様のお説教の一部をご紹介します。


先日、札幌教区主催のフィリピン・エクスポージャーを終え帰国したところです。
残念ながらこの教会からの参加者はありませんでしたが、毎年、参加した若者達からは、「生き方が変わるような体験だった」という声が聞かれます。
恐らく彼らは、これから今回の貴重な体験を生かして、社会や共同体の中でこれまでとは違った目線で関わりを持っていくのではないかと考えています。
しかし、人というものは他者に対しては、一度固定したイメージを持ってしまうと、その後のその人の変化をなかなか受け入れられないという性向があります。
それが神様の導きによる良い変化であるなら、足を引っ張らずに応援していくという寛容さが私たちにも求められています。

今日はイエス様が洗礼者ヨハネによって洗礼を受けられたことをお祝いする「主の洗礼」の祝日です。
マタイ福音書(3・13-17)では、イエス様が洗礼を受けた際の様子が描写されていますが、それは聖霊の働きによるイエス様の内面の変化を表しているものと推察されます。
聖霊の働きは、水面に落ちた雫が波紋のように静かに拡がっていく様子に例えられるように、徐々にその人の内面を変えていくものです。

洗礼には、自らの罪を認め悔い改め、救いを得るという個人的な意義がありますが、イエス様は神の子なので、本来は洗礼を受ける必要はないはずでした。それなのに何故、あえて洗礼を受けられたのでしょうか?
それは、自ら市井の人々の中に入り交わり、貧しく虐げれている人々に救いをもたらすためであったのです。

私たちは今日のこの祝日に、このイエス様が示された洗礼の意味、すなわち社会や共同体の中での神の愛の実践について、改めて考えていかなければなりません。


【お知らせ】

  • 明日は「成人の日」です。当教会でも7名の新成人の方々にささやかな記念品をお送りしました。
  • ミサの後、降誕祭の馬小屋、クリスマスツリー、リース等の後片付けを行いました。
  • 来週の日曜日は、ミサの後「雪割り」を行う予定です。お手伝いお願いいたします。

2014年1月6日月曜日

主の公現 -1月5日(日)-

今日は主の公現の祭日でした。
日本では12月25日が過ぎると一気にお正月色に変わりますが、降誕節は主の洗礼の祝日までです。欧米では公現祭に色々なお祝いをします、イタリアではベルファーナの祭りと言って良い子たちにお菓子を振舞って楽しみ、フランスではこの日に「ガレット・デ・ロワ」と言うお菓子を幾つかに切って皆で食べるそうです。お菓子の中にはフェーブ(そらまめ)と呼ばれる小さな人形が入っていて、フェーブの入ったお菓子に当たった子は王様(女王様)になれるそうです。各国で表現は様々ですが、主の公現をお祝いする気持ち、小さな子ども、小さなものを大切にする気持ちは同じですね。

ミサは森田神父様の司式でした。ミサのお説教の一部をご紹介します。
占星術の学者の事を「マギ」と言い、これはペルシア系祭司階級の呼称。占星術は、良く占いと誤解される事がありますが本来は天文学で、聖書では占いは否定されています。
私たちは理性を神様から与えられています、理性によって色々な状況を判断しながら正しい道を見つけることが出来ます、その際に信仰が大いに役に立ちます。
道を探すときは心を波立たせる様々な誘惑から離れ、心を穏やかにする事が大切です。
海の波が静まった時に月をはっきりと映し出すように、私たちの心が穏やかな時、平和を願う心、誠実な心、信仰の心によって自分たちの方向性を、色々な方の助言を仰ぎながら見つけて行くことが出来ます。その時に私達を常に導いてくれるのが神の御言葉です、神が私達を導いて下さる事を信じて行きたいと思います。


馬小屋「主の公現」